海の火葬場

その無人島は『海の火葬場』

岡山県笠岡市の沖合いに浮かぶ高島、白石島、北木島、真鍋島の4島を笠岡諸島という。
北木島と白石島のちょうど中間に、地元の人が通称『タテ』と呼ぶ小島がある。
地図上では正式名を『縦島』といい、たった40メートルほどの岩場だらけの無人島にすぎない。
実は平成13年まで、この『タテ』では海上の火葬場として使われていたのだ。

火葬場の施設があるわけではない。
タブと呼ばれる木(クスノキ科)でヤグラを組み、その上に遺体を寝かせ、松ヤニを油代わりに野焼きしたという。
大抵は夜半から明け方にかけて、なるべく風のない日が選ばれたものの、夏場は遺体が傷まぬうちに焼く必要があったため風向きは気にしていられない。
強攻策に出ることもめずらしくなかったらしい。
そんな日は風に乗って、髪の毛の焼けるイヤな臭いや、焼け焦げる動物臭が諸島一帯に漂った。
だからといって島民は不満を訴えたりはしない。諸島に古くから根付く不文律が存在したのだ。

島に渡らずとも、通常の火葬施設はある。
なぜわざわざ『タテ』に運んでまで焼く必要があったのか?
明治12年と同28年に笠岡諸島でコレラが大流行した。
致死率50%の死の伝染病は一帯で猛威をふるい、岡山全県では9千人が罹病し、うち5千人が亡くなった。
島内の火葬場では遺体の焼却が追いつかず、ついには『タテ』が選ばれ、火葬場として使われるようになったわけだ。

戒名の彫られた墓石が投げ込まれている

洋上の火葬場は『タテ』だけではない。
北木島の西にも『横辺島』……島民は『ヨコ』と呼ぶ無人島でも遺体を焼いた。
奇しくも『タテ』と『ヨコ』。
まるで対で存在するかのような火葬用の島。

コレラによる被害者だけでなく、スネに傷をもつ出稼ぎ労働者までもがここで処理された。
北木島では花崗岩を産出することで古くから知られ、石切り場が至るところにある。
江戸時代の初めごろから明治中期にかけて石材採掘が盛んに行われたそうで、島外から石切り職人が流れてきた。
危険がつきものの仕事だけに報酬は陸でのそれに比べ、ほぼ倍の賃金を得ることができるものの、職人の多くは刹那的な生き方を好んだ。
酒や女にバクチ。中にはやくざ者や犯罪者もいた。
そんな身寄りのない訳ありの者が亡くなると、そこで焼かれた。
むろん遺骨の引き取り手はいるはずもなく、満潮時に波がすべてをかき消していくままにされた。

画像からは確認できないが、今でも一枚岩には焼け焦げた跡が見られるそうだ。
無縁仏となった者を悼んだのか、波打ち際だけでなく、周辺の海底には戒名のついた墓石が無造作に投げ込まれているという。

とはいえ、こんな悲しい歴史がありながら、渡船をチャーターして磯釣りに訪れる人は多い。釣りキチは恐れ知らずだ。
チヌやメバルがよく釣れるという。

005 2011/04/18(月) 13:04:08 ID:lqbrx3Wq/c
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