【コラム】恵方巻きはどこから来たの?

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2月4日は節分でしたね。
節分といえば豆まきですが、ここ数年、ネット界隈では豆まきよりも「恵方巻き」の方がホットなようで。
ただ、いいことばかりじゃなく、ネガティブな意見も多く。

twitterでは「#恵方巻き撲滅」なるハッシュタグまで登場。
恵方巻きが文化破壊だーみたいな若干ナショナリズムを帯び始めてきているようで少々物騒な気もします。

逆に昔からやってた人からはこんな意見もあったり。

そうですね……

確かに^^;

そこで、そもそも恵方巻きとはどこから来たのか?というのが気になりまして。
調べてみました。

私自身、ちょっと不思議だったんですよね。
少なくとも、昔は「恵方巻き」なんて聞いたことなかったはずで。

太巻きを1本黙って食う、みたいなのは朝のニュースで女子大生並べて食べさせてたのを観た記憶があるくらい。
その時でも恵方巻きなんて名前じゃなく「丸かぶり寿司」と呼ばれてたはず、と。

恵方巻きに関する情報はネットでは結構溢れてますが、これに関する詳細な書籍というのは見当たらず。
文献としては、日本民族学会の季刊誌「日本民俗学」の236号に岩崎竹彦紙が寄せた「フォークロリズムからみた節分の巻きずし」(2003年11月)が一番詳しそうでしたので読んでみました。
ちなみにフォークロリズムとは、昔からの因習や言い伝え的なものだけではなく、都市部やマスメディアのムーブメントなどもフォークロアとして含めたものだそうで、今回の恵方巻きなんかは格好のターゲットですよね。
合わせて、雑誌『比較民族研究』23 2009年3月の「現代人における年中行事と見出せる意味-恵方巻を事例として-」(著:沓沢博行)も読ませてもらいました。

恵方巻きのルーツについては、ハッキリとはしないものの以下のもののようです。

(1)幕末から明治時代初頭に、大阪・船場で商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが始まりで、一説には若い女性の好きな人と一緒になりたいという願望から広く普及したとする説。(すし組合のチラシより)

(2)船場の色街で女性が階段の中段に立って、丸かじりして願い事をしたらかなったという故事にちなむとする説。(スーパーU社のチラシより)

(3)節分のころは新しい香の物が漬かる時期で、江戸時代中期、香の物入りの巻き寿司を切らずに丸のまま恵方を向いて食べ、縁起をかついだ。これがやがて節分に恵方を向いて、巻きずしを丸かぶりすると、その年の福がさずかるという招福の習わしになったとする説。(スーパーD社のチラシより)

(4)船場の旦那衆が節分の日に、遊女に巻きずしを丸かぶりさせて、お大臣遊びをしていたことに端を発するという説。
(当時の大阪海苔問屋協同組合事務局長藤森氏からの聞き取り)

(5)戦国時代の武将(堀尾吉晴といわれる)が、節分の日に丸かぶりして出陣したら戦に勝ったので、以後瑞祥としたことに端を発するとする説(藤森氏からの聞き取り)

現代人における年中行事と見出せる意味-恵方巻を事例として-

ただ(5)については巻きずしが出来たのが江戸時代だから違うだろうと書かれています。

(1)の鮓組合のちらしに書かれていたのが以下の文章。

節分の夜に、その年の恵方に向って無言で願い事をこめて家中揃って巻すしを丸かぶりすると必ずその年に願いが叶うと言い伝えられてきました。これは江戸時代の末期若しくは明治のはじめ頃から大阪の中心地、船場が発祥地とされております。商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが事の始まりです。一説には若い女性の願いである好きな人と一緒になりたいと云う祈りから広く普及したものとも伝えられております。何にしても、昔から長い物は縁起が良いとされて居り「晦日」そば同様、巻すしも長いまま食べる習慣が生まれ、巻すしに包丁を入れると”縁が切れる”と言う縁起かつぎから丸のまま食べるようになりました。
古くは七草を巻き込んだという説もあります。現在では海の幸、山の幸を巻き込んだ巻すしが幸運を招くと云われ七福神にあやかって御目出度い食べ物とされて居ります。

大阪府鮓商環境衛生同業組合発行のビラ(1990年)

どうやら船場遊び=遊郭遊びが起源というtwitterで流れているお話は、過激派の意見でも何でもなく、事実みたいですね。
大阪の船場といえば、江戸時代唯一の公認遊郭だった新町遊廓のことでしょう。

上方落語でもこの太巻きを食べる噺がありまして笑福亭松鶴の「遊山船」の一幕がこちらです。

なんや持って来よった、
太い棒や、棒持って来よった、二本持って来よった。おい、棒でどつき合いすんのんちゃうか?

■「棒」てなこと言ぅなお前、あれは「巻き寿司」やないかい
●あぁ巻き寿司か、俺また棒かと思た。太いがな
■あれは「太巻き」いぅて、別にまた具ぅ入れて巻いたぁんねん
●うわぁ~ッ、太いなぁ、旨そぉやなぁ、やっぱりあれもキャ~食いよんねやろなぁ?

■キャ~なんか食わへんがな、あれは酒ばっかりや。子ども、酒の呑めん子どもがあの太巻きを食いよんねん
●あッそぉ、あら太い、あんなもん食いにくいで。細こぉしたった方が食いやすいんとちがうか?
■心配せんかてえぇがな、わざとあないして太いまま持って来とぉんねん。

●何でわざとや?
■「何で」て、子ども、舞妓は口が小ぃちゃいがな、あんな大きぃもん口に入らへん、食べんのん困るがな、ほな、オモロイ顔になるやろ。それ見ながら、また楽しんで一杯呑みよる。

●趣味の悪いやっちゃなぁホンマに。食わしたんねんやったらもっと親切に食わしたったらえぇねん。あの舞妓も舞妓や、そのまま口入れよるがな……、入らへん入らへん、やめとけ無理すな。お~い、ほら干瓢ピャッと横へ出た、あかんあかん、高野豆腐が落ちたがな。

●そんなもん口に入るかい、もぉオッサンが食い方教えたろ。おいマァ衆、こっち向けこっち。それはな、海苔が上等やからな、ちぎられへんねん。はじめ、唾でよぉ湿らすのん。こっち見なさい、唾で海苔をベロベロッ、ベロベロベロ……(ペッ)ベチョベチョにせなあかんねん、唾で。

●ベロベロベロ(ペッ)柔らこぉなったところを上から、ガブッと(ペッ)うわッ、この巻き寿司えらい砂や
■お前、草履くわえて何してるんや
●これ、草履か……

笑福亭松鶴「遊山船」

喜六と清八が夕涼みに浪速橋へ行き、そこの大屋形でやってる芸子遊びを見ながらの会話ですが……まぁエロいですね(笑)
エロは娯楽ですから、笑ってそれで終わりですけども、確かにこれ知ってる人からしたら、家族みんなで太巻き咥えようぜ!って……言えないのもわかりますよねぇ。

これだけネットで広まっちゃったら来年あたり、テレビで女性に恵方巻き食べさせるシーンは減るんでしょうか。ちょっと興味があります。

さて、ルーツははっきりしないものの「大阪の舟屋で太巻きを丸かじりする行事があった」のは間違いなさそうで、では、なぜこれが節分と結びついたのか?というところですね。

「節分の夜に、その年の恵方に向って無言で願い事をこめて家中揃って巻すしを丸かぶりすると必ずその年に願いが叶うと言い伝えられてきました」

この一文なんですが……「言い伝えられてきました」がどこからなのか?

戦前のチラシにはこんなものがあったようで

巳の日に巳寿司と云ふてお寿司を喰べるやうに毎年節分の日にその年の恵方に向つて巻寿司の丸かぶりすると大変幸運に恵まれるといふ習しが昔から行事の一つとなつてゐて年々盛になつてゐます

1940年2月大阪鮓商組合後援会発行のビラ

巻寿司と福の神
節分の日に丸かぶり

この流行は古くから花柳界に、持て囃されていました。
それが最近一般的に宣伝して年越には必ず豆を年齢の数だけ喰べるように巻き寿司が喰べられています。
これは節分の日に限るものでその年の恵方を向いて無言で一本の巻き寿司を丸かぶりすればその年は幸運に恵まれるということであります。
宣伝せずとも誰言う共なしに流行ってきたことを考えると矢張り一概に迷信とも軽々しく看過すべきではない。

1932(昭和7)発行のチラシ 本福寿司保管

ただこのどちらもがステークホルダーである寿司業界の情報なんですね。
沓沢氏も「当時節分の丸かぶりの宣伝を行っていた寿司業界の関係者でもあることから、すでに伝統の操作が行われている可能性も否定できない」と指摘しています。

すし組合のチラシが発端で、節分と丸かぶり寿司がくっついて、さらに縁起担ぎとして恵方という陰陽道からの権威付けもチラシ発信で行われたのでしょうか。

寿司業社以外では、大阪市此花区が「巻き寿司の丸かぶり」の発祥の地として名乗りを上げています。

その根拠とするのが此花区郷土史研究資料『伝法のかたりべ(五)-旧・申村を含む-』(勝安男著)です。

一日中明けの朝日が高く昇るまで楽しむのが申村の世念講で、そしてこの日の食事のことでありますが、昼食夜食は巻寿司を食べることが習わしとなっていました。
女性達が宿の女房の指図で鮨を作るのでありますが、村の若い男女が大勢の上、他国者の船頭衆や川人夫等も加わるので、鮨作りはたいへんな忙しさです。
若い者ばかりの集まりで、鮨の一本や二本で足りるはずもなく、女性は鮨を巻くだけでも目の回るような忙しさです。
切る暇などはありません。
女が手間取っているのを見て「姉さん,切らんとそのままおくれんか。腹が減ってグーグー言うとるわ。上品な食べ方せんでも、みんな顔見知りのもんばっかりや」。女が「そうやなぁ。そうしてくれたら、おお助かりや」。そこで,鮨の丸噛りとなるのでありますが、宿の女房が「あんたら、ちょっと待った」と一声、「鮨を噛るとき、家の神棚に、今年も元気でいられるようにと拝んでから噛るのんやでぇ」。「そうかぁ。来年も達者でみんなと一緒に鮨を食わしてもらえるようになぁ」。
そうするけん、そうするわのぅ、そうするばいー。他国者が楽しそうに自国の方言で応えれば、ドッと全員が笑いだす。
地家(土地の者)の若者連中であります。
このようにして節分の夜,世念講を愉快に楽しむのでありました。
昭和三十五、六年頃からと思いますが、二月、節分の日に鮨店が盛んに鮨の丸噛りを宣伝し、販売することが流行してきました。これを初めて思いつき、売り出したのが京都市内のある鮨店の主人であります。この店主の親か祖父かが旧申村の年中行事、世念講のしきたりを誰かに聞いたのか、前から知っていたものであろうか、定かではありませんが、とにかく、申村の世念講を真似て売り出した鮨が大当たりしたので、他の鮨店も、我も我もと売出し、今日に至ったのであります。
現在の売出し文句に、鮨を丸噛りする時、その年の恵方にむかって食べれば幸福が我が身に訪れると言うことがありますが、これには何の根拠もありません。
現在伝法五丁目で昔の世念講の有様を知っておられる方はなかろうかと思いますが、ともあれ節分鮨の丸噛りの行事は申村が原点であります。

伝法のかたりべ(五)-旧・申村を含む-

ただこれも平成3年発行の資料で、当時の資料ではなさそうです。

節分に太巻きを食べるというのが、風習なり言い伝えなりでそれなりにあったのなら、もう少し文献や口承文学に残ってても良さそうですが、そういうのがないんです。
江戸末期は文学的には庶民の文学が出てきますし、江戸末期からもそうですが明治以降なら個人日記も一気に加速してますから
それで情報が出てこないというのは、ちょっと「違和感」はありますよね。

結局、節分と太巻きの出会いはよく分かりませんが、現在の「節分の巻きずし」を定着させた原点は、1949年、大阪府鮓商協同組合の販売促進がスタートみたいです。
この時点では「廃れていた風習」だったものが「土用丑の日のうなぎの蒲焼」に対抗すべく、理事会にて決定されたようです(寺尾宗冬 1989,1990)。

1950年代後半からは、大阪海苔問屋協同組合が宣伝を開始、鮓組合と協力してセスナ機からビラを撒く宣伝をしました。
1970年後半には関西厚焼工業組合と海苔問屋とで作られた「大阪昭和会」が積極宣伝をし、厚焼組合が業界最大手の千日総本社のルートを活用し、近畿のみならず関東から九州まで宣伝を拡大させています。
また昭和会は毎年正月最後の日曜に道頓堀で海苔のチャリティーバザーを主体としたイベントを行い、巻きずしの丸かぶり早食い競争をし、テレビや新聞などマスメディアもこれを取材して世間の認知が広がっていったようです。
今でもあるみたいなので、私がテレビで見たのもこれなのかもしれません。

とりわけこの時期に積極活動をしていたのが昭和会の宝海苔創業者三男の山路昌彦氏だったようで。

海苔がたくさん取れるようになって、何とか消費を増やそうと思って考えついたアイデアなのだという。
「食いだおれの街で早食い競争なんて、いかにも大阪らしくて絵になるし、黙々と巻寿司にかぶりつく姿がオモロイやんか」
という彼らの発想は見事に当たり、マスコミを引き込んでの一大イベントへ成長する。

現代人における年中行事と見出せる意味-恵方巻を事例として-

ここまで見て、鮓組合・海苔組合・厚焼組合・昭和会の宣伝活動によって「節分に巻きずし」が着実に定着していったことがわかります。

写真では分かりづらいかもしれないが、海苔組合・厚焼組合のビラには、巻きずしを丸かじりすると幸せが訪れること、恵方に向って云々という食べ方、それらは昔からの言い伝えである、としか記されていない。
ところが、鮓組合のコピーによって昔からの言い伝えに根拠が与えられ、いわば怪しげで不可思議な風習が本物となった、あるいは本物であることの装いができあがった、と考えられる。

フォークロリズムからみた節分の巻きずし

また、山路氏は取材に釆たマスコミに丸かぶりの由来をたずねられると、「ずっと昔からやっていたものだ」と答え続けたのだという。「それこそ風習なんてこうやってできていくもんやないの」と語る彼の見解からは、大阪商人が持ち得た巧みな伝統利用の視点を伺うことが出来る。

現代人における年中行事と見出せる意味-恵方巻を事例として-

節分の折りに触れ、特に気にすることもなく、節分の日に巻きずしというビラやチラシが配られていれば、ある程度世代がロンダリングすれば「いわれなんか気にしたこともないし、まぁ風習」という風になっちゃうんでしょうね。

「風習なんてそんなもんでしょ」というのはわかりますけど、ただ「節分と巻きずしのつながりの言い伝えについては全く根拠も裏取りも出来てない」わけで、それを当の本人が風習なんてこんなものというのは、ちょっといかがなものか、とも思います。
もうちょっと、ぼかせばよかったのに(笑)
作り話を否定するだけの根拠は無いわけですから。

そして、「節分の巻きずし」が「恵方巻き」へと変化を遂げたのが、1998年だったようです。

1989年(平成1)、大手コンビニエンスストアチェーン「セブン・イレブン」の広島県内の店舗の個人オーナーが、「出身の大阪ではこんなものを食べる」と提案し商品化。その売れ行きの良さから販売圏は徐々に広がりを見せ、1998年(平成10)、ついに「丸かぶり寿司 恵方巻」という商品名で全国発売がされた。すでにセブンイレブンに追随して地域商品として販売していた他チェーンも相次いで全国発売に踏み切り、筆者が恵方巻と出会った2000年頃には、どのコンビニでも恵方巻を手に入れることが出来るようになった。セブンイレブンの販売初年度およそ35万本だった売り上げも急激に伸び、2005年(平成17)には300万本を越えるまでになる。

現代人における年中行事と見出せる意味-恵方巻を事例として-

やはり私が子供の頃に恵方巻きなる言葉がなかったのもうなずけました。
1998年にセブンイレブンが作り出した言葉だったんですね。

「節分の巻すし」は1970年代に一度関東に出ているにも関わらず全く定着しなかった、それが「恵方巻き」とネーミングを変えたことで売れた、ということなんでしょうか。
ネーミングって、大事なんだなぁと。
そりゃ「節分の巻きずし」なんかよりよっぽどインパクトありますものね。

ここまで、恵方巻きのルーツと恵方巻きの変遷を見てきたわけですが、否定派の中には、恵方巻きについて「作為的に作られた風習」だからという理由以外に、現代の闇がありますよね。

一つが食品の廃棄ロス問題。

もう一つがバイトにノルマを押し付けるという労働問題。

売れ残りをバイトに買わせて、払わないなら給料天引き……。
そりゃね、恵方巻き撲滅!と叫ぶ気持ちは十分わかります。

そしてコンビニオーナー側からはこのような悲鳴が。

この問題の根源はやはりコンビニ会計にあると思います。コンビニは廃棄負担は基本的に加盟店負担となっており、本来加盟店は廃棄を必要以上に出したくありません。しかし、コンビニの会計方式では事実上、廃棄にチャージ(本部取り分)が掛かっており、廃棄が出ると本部は儲かる仕組みなのです。ですから、あの手この手で廃棄を加盟店に出させるように圧力を掛けるのです。経常利益の半分は廃棄なんて話があるくらい食品廃棄にコンビニ本部は支えられているのです。
(中略)
 食品廃棄から利益を貪り、コンビニ本部は会社として、組織として、人の集まりとして恥ずかしくないのでしょうか。
少しでも良心の欠片があるのなら、今すぐにでも廃棄チャージをやめるべきなのです。
 皆様もコンビニ本部にこの声が届くよう拡散して頂けないでしょうか。

恵方巻きで話題のコンビニオーナーです

つまり廃棄が増えれば増える分、コンビニ本部にお金が回る。
だから本部が店舗に恵方巻きをたくさん仕入れさせ、そのしわ寄せをバイトにさせるところもある、と。

コンビニ本部としては新しいキャンペーンを打ちたくて日々ウズウズしてるわけですね。
売れる売れない関係なく、店舗に大量に物を買わせられる口実ができるわけですから。

と、風習の根拠以外にも、フードロス、コンビニの闇という点が重なった結果、恵方巻きの否定意見が毎年出てきているわけですね。

おそらく風習について、脛に傷がなければ、フードロスもコンビニの闇もクリスマスケーキ何かと同じだから、そこまで否定的な意見は出てこなかったんでしょうね。

今はマスメディア以外の個人メディア隆盛時代ですから、それっぽい権威付けをしてしまったために、化けの皮がはがされちゃったというところなんでしょうか。
昔ならそれでよかったのかもしれませんが。
それこそ土用のうなぎへの対抗なら、特に言い伝えなんて権威付けをしなくても、節分に太巻きでやってたらこんなに大事にはならなかったのかもしれませんね。
もっとも土用のうなぎもかなりいい加減なんですけどね(笑)

ところで、twitterでは大量に廃棄されている恵方巻きを見ますが、ちゃんと産廃として廃棄されているんでしょうか、少し不安になります。

前にあったじゃないですか、ココイチのカツが産廃業社ダイコーに流れて、そこからみのりフーズにいって、という。
あの事件、かなり興味あっていろいろ調べてたんですよね。愛知の産廃事業の事情とか、土地柄かなり闇深いんですが、それはともかくセブンイレブンの商品も廃棄で流れていたみたいなんですよね。

冷凍モノじゃなくて生物ですから、さすがに飼料とかにしちゃうんでしょうけど。

スーパーだとどうなんでしょう。
どうも伊丹十三監督の「スーパーの女」とか思い出しますよね。
切って次の日リパック、なんてことは、ないですよねぇ……

由来から風習ができるまで、そして現代の闇と、「恵方巻き」なかなか興味深いテーマですね。
私は……食べたことがありません(笑)

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コメント

  1. 匿名 より:

    要するにバレンタインチョコ、土用鰻、クリスマスケーキと同様業界の陰謀説が濃厚ですね。

  2. 匿名 より:

    記事の中のツイにもあるけど
    別に古い風習でもない、それでも関西では子供の頃から当たり前だった風習を
    たった20年程度の風習だのなんだの知りもせずにこきおろす他地方民には嫌気が差すな

  3. 匿名 より:

    1地方の風習を金稼ぎの道具として無理やり全国区の風習であるかのようにして恵方巻き売りつけてるところが気に食わないんだろう

  4. 通りすがり より:

    予約販売のみにすればロス減りそうですが(ドタキャンする人もいそうだしゼロになるとは思えない)、店頭でその気になったとき買えるのも魅力。恵方なんざ知らないけど美味しそうなやつ買う。

  5. 匿名 より:

    掘り下げて調べようなんて思ったことも無かったから勉強になりました。
    個人的には「巻き寿司売りたいから大昔からある文化のように見せかけました。こうすりゃお前らアホだから買うんだろ?オラ買えよ」
    みたいな思惑が透けて見えるのが嫌なんですよね。

  6. 名無しさん より:

    風習の起源が入口でコンビニの大量廃棄問題に着地するのはちょっと。知らないことが多く、起源がきな臭そうで情報の加工や不確実さだとかの勉強にはなりましたが出口のために入口を作っておられるような・・・コンビニの悪どい搾取の産物を「恵方巻き」とするなら起源が海苔の商戦であったとしている家庭で作る「節分の巻き寿司」は赦してもらえるのでしょうか。愛着があるからか分かりませんが脛に傷あるだとか化けの皮だとか攻撃的に見えてしまいますね。他のネットの記事でもやってるからといって面白半分で喧伝するのはいかがなものかと思いますよ。

  7. 名無し より:

    東京大学准教授伊東乾氏も「売らんかな恵方巻に見る日本の堕落 時代錯誤の大量廃棄とお下劣マナー」で『現代40代以上の人ならこんな「風習」は子供の頃、日本全国におよそ存在しなかったのをご存知でしょう。~中略~恵方参りはあったけれど』と述べられています。恵方巻きなどコンビニの作り上げた空想に違いありません。

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