学生運動のあった時代というので、70年代の頃 の話だろうか。 N君は極めて真面目な学生で、学内をヘルメット姿の学生たちがヤクザまがいに闊歩しているのを避けながら、こつこつと勉学に打ち込む純朴な青年であった。 数に物を言わせて頭でっかちな論争を吹っかけてきては興奮して騒ぎ立てる連中とは違って人当たりもよく、彼は教授たちにも可愛がられていたという。 ただどことなく。 線が細いというか、か細いというか、どことなく何かが弱い印象があったという。 影が薄いというのだろうか。 ある日、N君が憔悴しきったような顔でふら... 続きを読む
幽霊や怨霊にまつわる怪異
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そば殻の枕
ウチの母から最近聞いた話。 当時18とかそこらの母は、ちょっと距離のあるところで就職してた。 百貨店の接客と長時間通勤で精神と肉体の疲労は半端なく、常に肩こりが酷かったらしい。 熱い風呂とマッサージで誤魔化してたけど、流石に限界がきたらしく整体へ行くことに。 整体の先生が施術しながら、ここのコリが酷いとか片足に体重かけ過ぎだとかをお説教してきて、すこしうんざりしてたんだけど「枕が合ってない」って言われてドキン!とした。 そんなに裕福じゃなかった母は、昔から重ねた本にタオルを巻いて枕代わりにしてたらしく、そ... 続きを読む
送り番
子どもの頃、ひい爺さんから聞いた話を書きます。 ひい爺さん(以下爺さん)は明治の早い時期の生まれで、しかも山村で育ったためいろいろと奇妙な風習を知っていて、自分が子どもの頃によく話してくれました。 爺さんの村では送り番という役回りがあり、これは三軒ひと組で回り番で当たる遺体の埋め役のことだそうです。 当時爺さんの村はまだ土葬で、寺で葬式を行った後に、遺体の入った棺桶を荷車にのせて村はずれにある墓域まで運ぶのです。 村の顔役や男手のない家では代わりを頼むこともできましたが、葬式では酒も振るまわれ些少の礼金も... 続きを読む
坪の内
自分の実家は築100年。 岐阜県に大正村というところがあるが、そこで公開している家にそっくり。 中庭を囲むように、母家・渡り廊下・離れがコの字状に並んでいる。 子供の頃、なぜか、じいちゃんから「夕方は坪の内(中庭)に行ったらあかん」と言われていた。 トイレは離れの横にあるので、生活空間の母家から夜でも真っ暗な渡り廊下を通って、トイレに行かなければならなかった。 仕方ないので、夕方だけは尿意を催すと、近くのコンビニへ行くか我慢していた。 中庭は坪の内といい手入れされた数本の木と苔むした石のまわりに白石を敷い... 続きを読む
断る力
これは怖いというか、自分には教訓みたいになってる話。 だからそういう話と思って見ていただけたらありがたい。 もう十数年以上前の話だけどいまでもハッキリ覚えてる、というか忘れたくても忘れられない記憶。 こうしてネットとかで語る分にはまだ大丈夫だけど、口にするのはいまだにちょっと抵抗がある。 まあ、自分自身が直接経験した恐怖ってわけじゃないんだが……。 (注)書いてるうちになんかめちゃくちゃ長くなったから、面倒な人はスルーして下さい。 さほど怖い話でもありませんw 十数年前の話だが、自分は田舎にあるけどやたら... 続きを読む
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