海曹士普通科○○課程学生として江田島の第1術科学校に着任した翌日。
学校内の関連施設を巡る「校内旅行」が行われた。
学生隊隊舎に正対してグラウンドに整列する我々の左手には戦前に砲術教材として設置された戦艦「陸奥」の主砲塔が聳え、その先の海には護衛艦が停泊している。
我々の前にやってきた教官が告げる。
「諸君らは当然、本校敷地には我々が属する第1術科学校と、幹部候補生学校の二つの異なるの部隊がある事は承知していると思う。
当然、構内の施設はどちらかの学校に付属している。
本日は主として、幹候校の施設で1術校の学生が使用を許可されている場所と、諸君らがこれから頻繁に利用する場所を巡る。
他隊の施設を含むので一層の節度ある態度で臨むよう心がけよ。では、出発」
「第xx分隊、出発します! 右向け前へぇー、進め!」
当直学生の号令で我々は行進を始める。
海軍兵学校の時代と異なり、行進は駆け足ではなく早足行進である。
左手に赤レンガの幹候校自習室、白亜の幹候校講堂を見ながら東門方向へ向かう。
(実は戦艦「陸奥」の主砲塔の側に「中央桟橋」があり、それが正門。道路に面した門は裏門になります。NAVYだなぁ。。。)
幹候校自習室、幹候校大講堂は専用施設であり、幹候校側の許可がない限り立ち入りができない旨の説明を歩きながら受ける。
「左向けぇ、止まれ!」
幹候校大講堂を過ぎたあたりで教官の号令が飛ぶ。
我々の隊列は幹候校大講堂を正面左斜め前に見る形で停止した。真正面には緑が繁った丘がある。
「まず、第1の目的地である「八方園神社」はちょうど諸君らの正面の丘にある。先に言っておくが、「八方園神社」は一般に言うところの神社ではない」
「?」
「祀られる神がある訳でもなく、当然、拝殿のような建築物もない」
『え? それで”神社”って呼び方は変』声には出さず、私は思った。
その丘はちょうど背もたれ付のダイニングチェアを横から見たような地形をしており、腰をのせる部分の平地が八方園神社と呼ばれているとの事だった。
先ほど歩いてきたメインロードからは、背もたれ部分が邪魔をして直接平地部分を見る事はできない。
我々は丘の裏手へ廻り、平地の辺に平行に刻まれた25段ほどの階段を登る。
そして登りながら視線を左方向へ廻らせる。
確かに「神社」らしきものはなにも無い。
目に入ったのは1辺25m程の平地のほぼ中央に1mほどの円筒計の石積み構造物があるだけ。
階段を登りきり平地部に足を踏み入れようとしたとき、私は不思議な感覚にとらわれた。
別に気分が悪い訳ではない。
恐怖感もない。
むしろ清清とした空気。
それが見えない壁となって進入を妨げているような。
一歩が踏み出せない。
『何故だ?』私は焦っていた。
こんな状態でまごまごしていると、後で洒落にならない怖い罰直が待っている事確実である。
下から
「何をしている? 早く進まんか!」
という声が飛ぶ。
学生長の声だ。
「罰直確定?!orz」
と思いながら、なんとか一歩を踏み出す。
しばらくして、全員が平地部に整列した。
見えない壁に押し戻されそうな感覚は消えていない。
「気分が悪くなったりしている者は居るか?」
教官が我々に問う。
誰も手を挙げない。
当然である。ここで申し出てしまったら『根性ナシ』のレッテルを張られるのが確実だから。
「宜しい。ここは初めて来た時に、拒絶されている、とか、押し戻されるような感覚を感じる者が居るらしい。別に恥ずかしいことではないぞ」
と教官は続ける。
我々の中から、安堵の溜息のような気配が複数。
私自身も安堵する。
『私だけではなかったのだ』と。
「中央の石積みの周りに集まれ」
教官の指示が飛ぶ。
我々はわらわらと円筒計の石積み構造物を囲むように集まった。
まだ違和感は消えず、一歩が重い。
石積みの最上部には「東京」やら「大阪」、「札幌」等の地名と、中心からその地名を繋ぐ直線が刻まれた石製の円盤が埋め込まれている。
「これは『方位盤』と呼ばれている。ここ、江田島を中心として日本全国の主要都市の方向を示している。
ここが海軍兵学校だった頃、4号生徒(1年生)が故郷を想い、3号生徒(2年生)以上は肉親・親類縁者の訃報に接した時に故郷に祈った。
当時は親族からみれば、兵学校生徒は『国に捧げたもので、自分の望みなど言えない』存在だから、親が亡くなっても「亡くなった」と知らせるだけだったんだな。
先ほど、教官は『祀られる神がある訳でもなく』と言ったが、強いて言えば、この『方位盤にこめられた想い』が祀神なのかも知れぬ。
諸君も各自の故郷に向けて黙礼してみよ」
教官の説明と指示に従い、各自黙礼する。
私の場合、そのものズバリの地名が載っているので楽だったが、ここがこっちだからと戸惑う者、多数。
黙礼を終えると、先ほどまで感じていた違和感が薄らぎ、一歩の重さも多少軽くなったような気がした。
その後、我々は売店などがある「厚生館」、給与を受け取ったり各種申請を行う「庁舎」、これから術科教育を受ける「○○科講堂」、「教育参考館」などを巡り、解散した。
居住区に戻ると同期のAが話しかけてきた。
「おい、今日の八方園神社、どうだった?」
彼によると『半透明な白と黒のマーブル模様の壁のようなもの』が見えていたそうだ。
白黒7:3位の比率で、模様が渦を巻くように動いていたらしい。
続けてA曰く。
「教育参考館でも似たようなモノが見えたんだけど。黒が強かったんだけど。特に2階の立ち入り禁止の部屋のあたり」
2階の立ち入り禁止の部屋、と言えば「海軍兵学校卒業者戦没者芳名室」。
ドアに窓は付いているものの、カーテンで目隠しされていて内部を覗けなかった部屋である。
(実際に「海軍兵学校卒業者戦没者芳名室」は親類縁者が訪れた場合に、立ち入りが許可され献花等が行われる以外、特定職員以外立ち入り禁止です)
その後、教官から聞かされた「七不思議」の由来を調べているうちに、奇妙なことに気が付きました。
兵学校開校~終戦までの記述に「八方園『神社』」という記述が殆ど見当たらないのです。
みんな「八方園」。
これって、もしかして終戦後アメリカから返還されて海自が使用するようになってから、何かが変質した?
少し背筋が寒くなりました。
「祀神は『方位盤にこめられた想い』などではなく『東郷平八郎元帥と海軍兵学校卒業の戦没者』、拝殿は『教育参考館』そのもの」
つまり靖国神社の極限定的な分院のようなものなのではないか、と。
そうだとすると、祀神が共感するような人間は此処には一人もいない事になる。
* * * * * * * * * * * * * * *
※閑話休題
ラストに備えて、用語の説明をば。
「海軍『兵』学校」と言う名称から「兵隊を育てる学校」と認識されることが多いのですが、「海軍『兵』学校」の「兵」は、職域としての「兵科」将校の育成機関でした。
で、この場合の「兵科」とは何か、と言うと、砲術・水雷等の直接戦闘に関わる職種や航海・通信等艦の運行に携わる職種、それに航空機搭乗員を指します。
機関を扱う将校を養成する「海軍機関学校」は神奈川県横須賀、主計(庶務・経理)を行う将校を養成する「海軍経理学校」は東京の築地にありました。
それで、機関将校や主計将校は指揮権の委譲ラインには入っていませんでした。
例えば、兵科将校が少尉一人しか残っていない場合、中佐の機関長が生存していても指揮権は少尉のほうへ移る事になります。
海上自衛隊の幹部(将校(=士官)ですね)になるためには、大きく3つの方法があります。
一つ目は、防衛大学校を卒業するか、一般の4大を出て「一般幹部候補生」となり幹部候補生学校へ入校する。
これを部内では「A幹」と言います。
二つ目は、下士官(海曹)経験4年以上で選抜試験に合格し、「部内幹部候補生」となり幹部候補生学校へ入校する。
これを部内では「B幹」と言います。
三つ目は、下士官を上り詰めて「部内幹部候補生」となり幹部候補生学校へ入校する。これを部内では「C幹」と言います。
旧海軍から見ると、A幹(防大卒)は海兵・海機・海主の何れかの卒業者、A幹(一般大卒)は予備士官、B幹・C幹は特務士官という扱いになります。
* * * * * * * * * * * * * * *
1術校での教育課程を修了し、某護衛艦に乗り組みを命ぜられた私は、しばらく普通に勤務していました。(当然の事ですねw)
新しいフネにも慣れたある日、行われた宴会で私は「八方園神社」の事をA幹(防大卒)の分隊士(3尉)に訊ねてみました。
「そもそも、あそこは一体何だったのか」
と。
分隊士曰く。
「う~ん、答え難い質問だけどねぇ。
あそこが「海軍兵学校」だった頃は、○×海曹(私のこと)が教官から聞いたとおりの場所だったんだと思う。
俺も初めて行った時は、なんだか『寄るな』みたいな圧力を感じたんだよ。
単なる思い込みかな、とも思ったんだけど結構いるんだ、そう感じた人」
分隊士は続ける。
「あ、そういえば。聞いた話なんだけど、何年かに一度くらい、幹候校修了後の遠洋航海で航海中行方不明って事故が起こるよね。
その殆どが『一般大卒のA幹』らしいんだ。確かに、臨時雇いの俄か士官がって先達が怒ったのかもしれないよね。
そういう俺も、この先機関とか補給(=主計)に行く可能性はある訳だし。
昔と今じゃカリキュラムが違うからさ。
○×海曹は大丈夫だろ?
曹士(=下士官兵)が居なければ、戦闘はおろかフネを動かす事だってできない訳だし。
そもそも1術校の特技持ちなんだから、B幹で幹候校へ行ったとしても、昔で言う「兵科の特務士官」確定だろ?
ところで、あそこって椅子みたいな地形になってるよね?
あそこの背もたれみたいになってる処に小さな石碑と祠があるの、知らないだろ。
「帝國海軍兵科士官在処故郷」、海軍兵科士官の故郷は此処に在りって彫られているんだよ。
海兵卒の先達からみれば、俺たち海自幹部は後継者として認められない、ってことなのかも知れないね」
酒の席で、話を合わせてくれただけかも知れませんが、さらっと怖いことを言ってくれました。
そんな分隊士も現在は護衛隊を率いる隊司令。(しばらく前に官報でお名前を拝見しました。ご壮健で何よりです)
おしまい。
-長文、失礼しました。文才の無さ、痛感です。-
925 退職済みですが 2009/07/14(火) 15:49:48 ID:x0QB/pll0
※参考
八方園神社跡碑
八方園神社方位
八方園神社
…では海保の方が訪れたらどうなるのだろう。
閑話は飛ばしたけど、要らん説明が多過ぎ!!結局のとこ神社で「拒絶された様な気がした」ただそれだけやん!!何をダラダラと…
知識をひけらかしたいんだろうけど、守秘義務はないんかい!